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悠ののんびり&しなやか・マイペース日記

悠ののんびり&しなやか・マイペース日記

警官の家族なら…… 作られた自意識過剰

”警官の家族だったら、目の前で万引き見たりしたら…
ほおっておけるか??捕まえようとするんじゃないか?”

…悠なら、いったいどうするでしょう??
自信はないけど…大きな声くらい出すような…

いや、大きな声あげて、注意する奴でありたい。。。
そう思うのは、本心です。

でもさ…。
正直戸惑いもあります。

このページの冒頭のセリフ、悠パパのセリフです。

悠パパは、その昔、ガッコの先生でした。
それも、校長センセとかまで…やってたことありました。

家ではボロボロの、トド親父。

それでも、”いい先生”、”素敵な校長先生”というGOODなイメージを
保つため…動員されたのは悠と弟君でした。

悠パパが”いい先生”って、周囲から評価されるため、
悠は、いつでも”かなりイイコ”でいることを要求されました。

っていうのは、悠パパの方針で、悠パパが働いている私立学校以外には
通わせてもらえなかったから。

テストの点がよくても、”悠パパは先生だから…。”
スポーツ頑張っても、”悠パパ、子供といっぱい遊んでくれるいい先生だから。”

悠のこと、ちゃんと誉めてもらえることありませんでした。
誉めてもらっていたのは…いつでも、悠パパだった。

…おチビだった悠にとって、お友達も学校も楽しい場所だったけど、
緊張する場所でもありました。

”悠パパのために、頑張りなさいね!”
そうやって、いつも悠ママの目が光っていました。

いつしか、悠は自意識過剰の小憎らしいガキンチョに育っていきました。

悠パパの七光り?!のおかげで、偉そうな物言いを許してくれる大人は
たくさん周りにいたから、小生意気な口調では、相当なもんだった。

そのかわりに、必死に自分を作っていたのだけれど。
そんな、悠が背負ってくれる重いネコに気がついてくれる人、いなかった。

辛くて、スイッチ切れちゃうこともありました。
登校拒否もした。
(しかも、その記憶は、その後5年間?封印されてました。)

誰にも言わず、学校から、大泣きしながら
家に走って帰ったこともあるし…。

悠ママは、気がついていたのか、いなかったのか、
救ってはくれませんでした。

ただ…お休みするのを黙って許してくれた。それだけ。

”体調が悪いので。”って学校に連絡することは、
悠パパの悪い評価にならないから。

お休みの後、悠がお勉強から遅れないように頑張ればいいのだから。

悠ママにとって、悠パパはONLY ONE!!なのです。昔も、今も。

だから、悠パパは”周囲からうらやましがられるような素敵な先生”
じゃなければいけなかった。

”内助の功を発揮しまくる、やり手の奥様”で
いなければならなかった。

そんなに…いい男じゃないと思うんだけど…なぁ。
どこにでもいる、普通の親父なんだけど…なぁ。

でも、”内助の孝”に燃える悠ママの監視は
ゆるむことがありませんでした。

それが…悠にとって一番辛い形で跳ね返ってきたのは、
沖縄に住んでいた頃のこと。

悠が小学校5年生と6年生の時のことです。

この前、同級生殺傷事件の加害者の6年生の女の子が
ポツリともらしていた言葉でしたっけ?
”学校生活が全て…”

悠には、とってもよくわかる気がします。

悠も、居場所がないのに、そこにしか通うこと許されなくて、
ひねくれたまま学校に通ってた。

だから、その頃の悠には惚れ込めるお友達がなかなかできなかった。
そんな想いをした場所だから…沖縄に行きたいなんて…

ずっとずっと思えなかった。。

そう。

沖縄に住んでいた頃の悠は、小生意気で可愛げのない
自意識過剰のガキでした。

そして、悠にも


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